2008年11月16日日曜日

京の七口(その1)







                    
太秦キネマ塾でビデオ制作を教えており、中学2年生男子を担当している。


中学生が選んだテーマは「京の七口」。 豊臣秀吉が京都周辺に御土居を築き、その出入り口として「七口」がひらかれた。


今日は「東寺口」(京都の南方面口)を車で撮りに出かけた。平安京の北「大極殿」から南への道「朱雀大路」は羅城門で最南端となる。 京都市九条通りの新千本の東北に「羅城門」の石碑が立ててある。撮影はここ「羅城門」から始まった。石碑のみの「羅城門」や「東寺」を撮り新千本通りを西高瀬川沿いに南へ車を走らせると石仏の「行住院」があり、更に進むと「恋塚」のある「浄禅寺」に着く。平家物語で袈裟御前が遠藤武者盛遠に横恋慕され、その盛遠に殺されるが、無常を知った盛遠は文覚上人となる話がある。その袈裟の墓を「恋塚」とされている。更に南下を進めると小枝橋畔に「鳥羽伏見の戦跡」の碑があり、御土居のような「秋ノ山」には慶応4年徳川慶喜の幕軍と錦旗を奉ずる薩長軍とが激突した戦跡碑がある。南下から一転して「七口」のひとつ「五条橋口」を撮るべく五条通り河原町へ向かう。鴨川に架かる「五条大橋」は義経・弁慶で有名な橋で、今も両人の像が太刀を合わせている。午後も日が陰る4時ころに今日の撮影は終わった。

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